2011年10月14日 (金)

武井勇二の「中国出前公演奮戦記」 その13(最終話)

 9月11日、SKF松本中国出前公演最終日。10時から推進会議、本日の日程と明日の帰国のフライト確認。今日で上海滞在も最後となる。街の雰囲気を掴むため再度周辺散策、中国語は発音がシャープで美しいためかみんな自信に満ちてかん高い声で話す。特に女性は何か相手と口論しているようである。そして中国人はとてもおしゃべりだ。雀の群れのようにあちこちで騒がしい。服装ファッションは全く日本人と同じ、いわゆるチャイナ服を着ている人は見あたらない。コンサートにしてもそうだ。日本なら和服がそうのように。交通は信号機はあるが目茶苦茶。横断歩行も15秒で変る。何か車優先の感じ。

 13時、武満メモリアル設定のため劇院へ。14時開演、600人収容の中劇場の七割埋まる。世界のタケミツとは云えよく集まった。四人の卓越した演奏者の中、コバのアコーディオン、鈴木大助のギターが武満の情感をよく表現している。これが観衆の心に響くのか終わったらすごい拍手。私はこれで今年のSKF松本も無事終わったとしばし安堵感。

 ホテルにいったん戻ってレポート作成、18時劇院に行ってプロ差込作業、19時30分から大劇院で小澤征爾音楽塾のオーケストラコンサートが始まる。これは小澤さんが若い音楽家を育てるためのプロジェクトだ。サイトウ・キネンスタッフはもちろん協力している。1700人収容のところ1300人は入ったか。小澤塾は上海は初めてでないのですでに固定客がいる感じ。中国人指揮者、コーラスも起用したので人気が高く拍手が一段と厚い。ここでもゼルキンのピアノは光っていた。若い音楽家はこんな巨匠と共演できて本当に幸せだ。

 終演後近くの中華レストランで音楽塾の打ち上げ、公演成功の喜びの気持ちを相互感謝して分かち合う。ホテルの戻ったのは夜中12時を過ぎていた。
小澤さんのいない淋しさはあったがSKF松本と小澤征爾塾中国出前公演は日中文化交流という音楽+αの意味も含めて何とかやり遂げた。このことを実感しみなさんにお伝えし中国公演奮闘記とします。、

武井勇二の「中国出前公演奮戦記」 その12

9月10日、今日はゼルキンのピアノリサイタル。11時時点演奏終了の室内楽のメンバー空港へ向けて送り出す。毎朝8時30分時点ホテル2階の朝食コーナーでビッフェ形式で朝食を食べるが全部円形テーブルなので思い思いのメンバーが隣り合わせになり歓談しながらの食事となる。いろいろの食素材があるので毎日変わったものが食べれて結構楽しい。北京より洗練されている。北京は田舎料理という感じでこれも良かったがこちらの方が都会的の感じ。特に玉子が昔の日本の鶏卵の味でうまい。我々定例のミーティングのない時はここが小ミーティングの場になる。
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 私はこの辺で同行の医師森田先生に感謝の昼食をと12時30分予め聞いておいた蟹王府いう有名な蟹専門店にお連れする。今上海蟹は時期が来ないので生のものは無理だったが冷凍されていたものを湯でて食べる。それでもさすがの味であった。森田先生には親身になってメンバーの健康管理をしてもらっている。幸い重病人は出ていないので安心。サイトウ・キネンの四方山話をする。先生は8月20日ころからお世話になっいるのですでに20日になる。14時20分ホテルへ。

 部屋で雑務をして17時30分に劇院へ。ステージではゼルキン練習中。18時15分受付準備。18時45分開場。中国は空前のピアノけいこブームでゼルキンクラスのリサイタルなのに子供連れの人が多い。さながら親と子供のためのコンサートのようだ。富裕層かもし知れないが日本では考えられない。これではランランとか優れたピアニストが出るわけだ。

 19時15分開演、武満徹、ベートーヴェンの曲が休憩挟んで21時15分ころまで続く。子供たちの騒ぎはなく名演奏に聴き入っている感じだ。曲は比較的難解の曲ばかり。終演後1200人の聴衆の割れるような拍手。ピーター・ゼルキンは往年の名ピアニストルト、ルドルフ・ピゼルキンの息子であるが親子揃ってこんな凄いピアニストとは。そして多くの子供たちが親と一緒に聴き入っている不思議。こんなことは松本では見られない風景だ。
親や大人だけが聴き入っている日本のコンサートに考え込んでしまう。

 楽屋でゼルキンと感謝の握手をして、22時時点、ステージ作りなど裏方スタッフの労に報いるために市内の焼肉屋へ、医師の森田先生、カメラの大窪さんも同行してもらう。焼肉屋は日本語が通ずることで安心、SKF松本中国出前コンサートの最終公演を明日に控えて、苦労の多かったみなさんに実行委員会としてくつろいでもらう。
ホテルに着いたのは零時。明日はいよいよ最終日だ。

武井勇二の「中国出前公演奮戦記」 その11

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9月9日朝7時大部分のオーケストラメンバー役割を終えて空港に向けて出発。 また来年よろしくと手を振って送る。何時も印象的な光景だ。日本に帰る人、アメリカに帰る人、ヨーロッパに帰る人いったんここで別れる。名残り惜しい気持ちもする。私はこれをSKF松本以前の89年から23年間続けてきた。無事にオーケストラコンサートまでやり遂げホットした気分になる。ゼルキン、武満メモリアルや小澤塾オーケストラのメンバーはさらに11日まで残る。

 9時に朝食を済ませてしばし部屋で雑務、今日はコンサート準備まで時間があるのでホテル周辺を視察、上海は超近代的なビルがあると思えば、すこし入ると雑多な住居、商店、食堂がたむろしている。そこには独特の味がある。昨日チェロの岩崎さんに聞いた小龍包(しょうろんぽう)のうまいという店に入ってみる。昼に来たら大変な行列だったので時間をおいて来てみた。12個の包みでたったの30元(400円)だ。たしかにはやっている店だけあってうまい。そして近くのデパートも覗いてみる。巨大なデパートだ。シャネルとか欧米の高級化粧品、イタリアのスーパーカーなども展示してある。矢張り婦人ものの衣料コーナーが圧倒的に多いのは日本と同じ。我々のホテルは全くの繁華街にあることに気がつく。まさしく市の中心だ。

 ホテルに戻ってメールで日本との連絡の仕事を行い一休みして劇院へ。演奏者は午後は本番の前にリハーサルに入り緊張が続くが特に裏方はステージ設定、楽器の運搬含めて休む暇がない。また演奏が終わったあとも次の設定で夜遅くまでホテルに戻れない。この下積み支えがあって華やかなフェスティバルが成り立っている。広報担当、演奏家対応、楽屋見張り、ぎりぎりまでのチケット管理も我々の仕事。劇院は会場を提供してくれるがチケットもぎりと席案内のほか付帯雑務まではやってくれる訳でない。

 何時ものように18時受付準備開始、18時45分開場、続々と客集まる。やはり今晩も若い人目立つ。
 19時15分コンサート開始、モーツァルトのピアノ四重奏、プロコフィエフの五重奏、R・シュトラウスの金管五重奏、バルトークの2台のピアノと打楽器のためのソPhoto_6ナタそれぞれの名手に よる熱演に聴衆拍手喝采、多くの作曲家の演奏を一機に通して密度が高すぎ、果たして上海のお客さまどのように受けとめてくれたか気になる。
帰路カメラの大窪さんを昨晩と同じ店でしばし慰労してホテルへ。明日はピーター・ゼルキンのピアノリサイタル。

武井勇二の「中国出前公演奮戦記」 その10

 9月8日、今日はオーケストラコンサート最終日。10時事務局ホテル2711号室で推進会議、終盤を迎えて、各人遺憾ないように9日も含めて役割確認と徹底。
 私は12時30分サイトウ・キネン財団評議員の中野雄さんが主宰するグローバルツアーの昼食会に招かれてヴィオラの店村眞積さんヴァイオリンの中村静香さんピアノの小菅優さんを誘って、黄浦江の川のほとりにある中華レストランに出向く。20人の団体で昨年のニューヨークも同じだった。我々は日本からわざわざ出向いてもらったことに感謝し、みなさんと音楽談義を交わした。何時もながら含蓄のある中野さんの話に応える形で歓談した。ピアノの小菅優さんは若いが内田光子さんに続いて世界で活躍する日本のホープだ。サイトウ・キネンではモーツアルトとブリテンの室内楽を弾く。店村さんも中村さんも押しも押されぬ名手だ。海外でファンや仲間と音楽談をするのはとても楽しいひと時となる。歓談を終えてホテルに戻ったのは15時15分だった。
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 17時15分から劇院でオーケストラサウンドチェック。18時受付け準備、45分入 場開始。19時15分1700席の会場もほぼ満杯、まずチャイコの幻想曲で聴衆をひきつける。そしてゼルキンのバルトークのピアノ協奏曲に客は圧倒され休憩後チャイコの交響曲四番の轟音にオーケストラの凄さに客はどきもを抜かれたという感じ。我々も堀伝さんとか身内の者も聴いて思わず拍手喝采。私もいいぞと思わず大声を出してしまった。

 私はここにSKF松本20年の総決算、オーケストラのクオリティが一番高いとろに到達したと実感した。あとはベルリンフィルやウイーンフィルに匹敵する広報を世界にしなければいけない。これが小澤さんの生まれ故郷である中国で達成できたとは。明日からは室内楽や武満メモリアルの披露となる。

武井勇二の「中国出前公演奮戦記」 その9

 9月7日10時、スタッフの推進会議。今日はオペラ終演後協賛者、メンバー含めてパーティーがあるのでその設定が大掛かりとなる。それぞれの役割、客の誘導まで含めて確認し合った。

18時劇院に集合、上海までツアー中の松本ボランティア協会のみなさんの協力を得てプログラム差し込みの作業をするとした。
 私は事務用具を買いにコンビニへ、そのあとホテル近くの南京歩行者道路を歩き回る。大勢の人、自転車、バイクが多い。帰りに日本式味噌ラーメンの店によって昼食。なかなか安く 味よい。ホテルに戻ってレポート発信の雑務。

 18時、劇院で37名の松本ボランティア協会のツアーのみなさんと合流、Dsc00411 みなさん手馴れた作業でプログラム差し込みを手伝ってもらう。この他にもボランティアの皆さんは、松本の観光PRに一役かっていただいた。松本城などの観光地の写真と大きく「熱烈歓迎」と書いたスタンドを持参していただき、松本の観光パンフレットと粗品の入った袋を会場内で配っていただいた。
やがて安川理事長とか長野県副知事とか要人が集まり始める。ボランティアのみなさんは松本で顔馴染みのメンバー。しばし懐かしい交流。本当にありがたかった。

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上海大劇院のロ ビーはゆったりとしてそこからは上海の素晴らしい夜景が眺められる。
19時開場、やはり若い層が多い。中には7歳前後の子ども連れの女性もいる。中国は一人っ子政策なので一人ひとりの子どもを大事に育てる。恐らく今から情操教育との気持ちか。
 19時30分時点、1700人の収容はほぼ満杯で開演。最初は心にしみるチャイコの弦セレ。休憩後青ひげ公の城、演出も松本よりさらに練り上げられている。オーケストラと歌手が素晴らしいのでピエールの指揮とともに終演と同時に大喝采。北京とここでも同じ現象となる。終演後の22時、5台のバスで招待客とともにホテルオークラへ。300人の大パーティー。安川理事長、劇院院長、上海日本領事、バルトークを演奏したことでハンガリー国領事、長野県加藤副知事、指揮者ピエールのスピーチの中に和やかに団欒交流。
 
 23時30分オケメンバーと我々はバスでホテルへ。今日は小澤塾のオケメンバーも松本ボランティア協会のみなさんも参加してもらったのであたかも松本のブエナビスタのオープニングパーティーのようだった。日中友好と今後のSKF松本支援にもこの交流意は重要になる。
部屋に戻ったのは零時半、今日の出来事を小澤さんにメールで報告。明日はいよいよディエゴ・マティウス指揮によるオーケストラコンサートだ。

武井勇二の「中国出前公演奮戦記」 その8

 9月6日10時、スタッフの推進会議。14時から劇院で北京と同様に記者 会見す  ることの進め方総確認。10時30分みんなで上海大劇院まで徒歩で下見。約12分で到着。記者会見場、楽屋、ホールを点検。劇場、小劇場はまつもと芸術館と同じ位置関係にある。ホールロビーなど大きく立派である。Dsc00386_3
また正面入り口前にはには巨大なサイトウ・キネンのポスターが設置されている。全体は北京の国家大劇院より規模は小さく中は移動しやすい。博物館、美術館とも広い人民広場の一角にある。
 
 私は昨年4月フリーで周辺の下見に来ていたので再度確認のためにチームから離れてしばらく周辺を回りホテルに戻る。実際によく見ると建造物など位置関係など大部錯覚があった。途中地下道に入ると長いショッピング街を見つける。ホテルの方向に歩いていると思って地上に出たらまた元のところに戻っていた。公園の周囲は即繁華街である。道幅、高いビルが林立しているので頭が混乱してしまう。横断歩道は少なく車はものすごい数、もたもたしていると簡単に目的地には行かれない。また地下道に入って出た先が宿泊ホテル隣の巨大デパートの地下であった。
 
 ホテルロビーで偶然堀伝さんに会う。2人で45階の最上階のスカイレストランで軽い昼食をとって記者会見場へ、約20人のプレス関係者、北京と同じ要領で実施。私はいったんホテルに戻り日本への報告など雑務をこなす。モーストリークラシックからメールで宮本文昭さんとの対談記事校正が入っており、これをチェック。18時30分劇場へ。本日の兵士の物語は600人収容の小劇場で行う。

 19時開場、安川理事長、JTBツアー一行の小澤幹雄さんらが入場。兵士の物語はSKF松本としは最終公演となり松本も入れて7回目、まことに練りあがった熱演となった。終演後演出、主演の串田和美さんと握手、小澤さんからもよろしくとのメッセージを伝える。串田さんはNHK朝ドラマお陽さまのそばやの主人なのでみなさん馴染み深い。上海でも毎朝お陽さまは放送されている。
 
 私はツアーの小澤幹雄さんグループの誘いで一行の滞在ホテルで食事を共にし、懐かしい日本の人としばし歓談、征爾さんがいなくとも中国まで駆けつけてくれたみなさんに感謝し、10時30分ホテルに戻る。今日の状況を小澤さんにメール。明日は本命のオペラ、上海の人がどのように観てもらえるか。

武井勇二の「中国出前公演奮闘記」その7

 9月5日11時30分、上海へ移動する体勢でホテル出発。まず12時からの中国文化部とSKF松本の共同主催パーティーに国賀大酒店という大きいホテルに向かう。国際文化交流の一つの儀式であり各界代表が出席する形で集まった。SKFからはメンバーも含めて70人くらい参加した。Dsc00334_8
会場に入ると正面丸テーブルに重鎮がずらりと並び、大きいプロジェクターには小澤さんとSKF松本の映像が流れていた。
サイトウ・キネン財団安川理事長の挨拶を最初に中国政府文化部副局長、在中日本大使館筆頭公司、中国日本人会会長、日本企業商工会長そして長野県加藤副知事の祝辞が述Dsc00337_3べられた。格式のありそうなホテル、中国の代表的な料理がビッフェの形で並ん でいた。日本の寿司もあった。
私は単に音楽の披露でなくそこに何かがプラスされたまさに日中国際交流の様相と感じた。音楽で両国の感情がなだらかになれたらこんなにいいことはない。小澤さんがいたらさぞ盛り上がっただろう。我々は流れ解散のように16時発の上海行航空便に乗るため会場を後にした。

 18時上海に到着。ラディソン上海ニューワールドというホテルに19時に入った。上海は北京とは打って変わったギラギラした都市、ホテルは市の中心部にあり上海大劇院まで徒歩で行ける距離だ。一時間遅れで後発組みも到着、一機にホテルはSKF松本と化した。 いわば松本の定宿ブエナビスタにいるよう。
  
 21時30分、藤牧事務局長と私は献身的にメンバーの健康管理に当たっていただいている信大病院の森田洋先生に中間ではあるがホテルの上海料理でお礼の会食を行った。森田先生松本で小澤さんの体調を一番知っているだけに今を気使っておられた。長い期間の海外での公演活動では必ず病人が出る。これを出来るだけ難儀なく見守っていくのが我々の大事な仕事だ。過去20年間の海外公演ではいろいろなことがあった。結構若い人が馴れない食べ物で食あたりする。我々は朝はホテルでバランスあるものを食べるが昼、夜は全く不規則になり、マクドナルドとかコンビに入って簡単に済ますことがある。特に北京は22時過ぎると食堂は殆どやっていない。従って健康、食べ物管理が大事となる。  
明日はトップバッター兵士の物語の設定に集中する。

2011年10月 4日 (火)

武井勇二の「中国出前公演奮戦記」 その6

 9月4日、10時からホテルのスタッフルームで推進会議、進行状況と課題確認。10時30分、私は東単という地下鉄隣駅(ホテル前王府井と云う地下鉄駅)近くに昔小澤一家が住んだ家に行く。駅までは五分、そこから徒歩で10分くらいの場所であるが道を間違がえてとんでもないところにたどり着く。仲間に電話で聞いて折り返し、13時にやっと旧小澤邸前に着く。中国古来の建造、まだ国の配慮により保管されているが今は別人が住んでいる。隣接する中華食堂で地場素材での昼飯。征爾さんの母、さくらさんがここで暮らし、みんなを育てたのか偲ぶ。
 私は途中転倒してカメラを壊してしまったので写真は撮れなかった。しばらく狭い小路の北京下町の空気を吸う。ここで征爾さんは幼少時代を過したのかと。日本がアジアで錯覚で繁栄反映しようとした時代であった。

 
14時ホテルにいったん戻り着替えして地下鉄で劇場に向かう。駅間は10分位の距離だ。15時から武満メモリアルコンサート開始、小劇場400人の聴衆に鈴木大介のギター、コバのアコーディオンらクラシックとは違う音楽に聴衆ひきつけられる。武満徹さんの曲は結局愛に満ちていると今さらながら感ずる。とにかく海外の人の心を揺さぶる。

 間をおいて会場は劇院大ホールへ、安川理事長、長野県加藤副知事一行が入場、19時30分、小澤征爾音楽塾塾のオーケストラによる若い音楽家らとピアノの巨匠 ピーター・ゼルキンとの共演が開演。ここでも聴衆を堪能させる。特にベートーヴェンの合唱幻想曲は100人の北京音楽院の学生よるコーラスとゼルキンのピアノは圧巻だった。指揮者に若手中国人を起用したので聴衆は大喜びだった。これは大きい日中の文化交流となった。
 
 今日はホテルに早く戻って来れたので近くのスーパーで沢山の果物を買い部屋で食べる。りんご、桃、バナナがうまくこれで結構腹の足しになる。何とか北京をやり遂げた達成感を小澤さんにメールする。しかし北京は小澤さんを心から待っていることを痛感しながら。明日は最終公演地上海に移動。Dsc00313_2

武井勇二の「中国出前公演奮戦記」 その5

9月3日、今日はオーケストラ、オペラ関係者の休日日、10時、3台のバスで万里の長城へ遠足に出た。市内高速を経て11時30分登坂スタート点の駐車場に到着。
 往復2時間かけて一つの関門である頂上に登る。凄い急坂でヘトヘトになる。一部のスタッフも同行、何と130人の行列。2,000年も前にどうしてこんな山の頂きに城壁を造ったか、しかも中に幅4メートル程の道が出来ている。今のように重機もトラックもない時代にどのようにしてこれらの石材を運搬したか、建造作業をしたか光景を想像してみる。
 Photo_14 この人間技でない仕事、しかも何百年もかけて建造を続けた歴代皇帝の執念。中国人の遺伝子の凄さに驚くばかり。我々は今いろいろな分野で何かを築いている。しかしここに立ってみて築いていると云えるだろうかと疑問になる。ましてやサイトウ・キネンは出発点に立ったばかりだ。仮りに今の人がいなくなっても継続していく執念。これこそが真の文化と云えるかも知れない。
 私の登坂する回りには演奏家やのバレーダンサーとかいわゆる有名人ばかりである。恐らくみんなフーフーと登りながら私と同じようなことを考えていたかも知れない。 我々がそれぞれの分野で今頂点に立っていると思うことは空しいことで、今に奢ることなくさらなる向上、建設に向かって努力しなければならない。小澤征爾という人は中国生まれのせいか何時もそういう姿勢を持っていると実感出している。
私の久しぶりに登山した思いの体は、下りてみると何故か邪心が抜け軽るくなっていた。

 16時ホテルに戻り17時30分今夜の室内楽と兵士の物語の仕込みにPhoto_16劇場へ。 19時30分、収容400人を満杯にした小劇場ホールで小菅優さんらの卓越したピ アノ四重奏に聴衆魅了。兵士の物語は音楽と芝居のコラボと串田和美さんらの熱演に観客を圧倒、大成功に終演。まったく松本がそこにあった。
 同行の堀伝さんと食事をしてホテルに戻ったのは午前零時だった。明日は武満メモリアル、北京の人が武満徹をどのように聴いてくれるか。

武井勇二の「中国出前公演奮戦記」 その4

 9月2日、草間実行委員長がスタッフ激励で13時30分ホテルに訪れる。劇場現場から都合つくメンバー含めて10人でささやかにもお茶とケーキで会合をする。昨日初日オペラの成功を祝って、これからへの激励受ける。Photo_9
 今日は予定通りの指揮ディエゴ・マティウスであるがそうは云っても無名の指揮者なのでどの程度人が入ってくれるから不安がある。
劇院では11時から小澤征爾音楽塾オーケストラの練習をやっている。これは実行委員長との会議設定のため私は現場には行っていない。小澤征爾音楽塾とはSKF松本とは別プロジェクトで松本でフェスティバルを始めてから間もなく京都の半導体メーカー、ロームが財団を通じて全面的支援を得て小澤さんが若い音楽家にオペラを体験させるべく設立し推進してきたプロジェクトであり、世界的にも大変ユニークなものである。これはすでに過去に北京、上海で数回オペラ公演している。スタッフはSKF松本のスタッフと連携、協力し合っいるので混同しやすいが組織は松本とは区分されている。しかし今回どちらも小澤さんが振るということで同時期に中国に訪れた。今回指揮は若手の三ツ橋敬子さんが小澤さんに代わって振る。

 17時からオーケストラコンサートのサウンドチェックに入る。19時開場したがプロぐラムの差込み作業なくスムーズに受付準備ができた。昨日のオペラと同じく客は軽装、普段着、若い人が目立つ。


Photo_10  19時30分開演。7割り1400人の入りで私としては上々。ここでも質の高いチャイコの幻想曲、ピーター・ゼルキンのバルトークのビアノ協奏曲、そしてチャイコの交響曲第四番のオーケストラの轟音に聴衆は圧倒された感じだ。ディエゴ・マティウスの指揮は歓迎されて拍手が鳴り止まない。北京の聴衆も演奏に満足してもらった感じだ。
 夜中零時部屋に戻り早速小澤さんに次のメール送る。
「今ホテルの部屋に戻りました。マティウスはじめメンバーはホテルのラウンジで今晩の成功に酔いしれていて去ろうとしません。


Photo_11  オケコーサートはもともと小澤さん振らないのを承知で集まった聴衆でした。2,000席のところ7割の入り。演奏はゼルキンとも素晴らしくチャイコ四番は拍手鳴り止まぬ状態続きました。マティウスは指揮の動きが切れ味よく機敏で大きい可能性ある若手とみました。
 本日もサイトウ・キネン・オーケストラの演奏の素晴らしさをみなさん感じとった印象です。これを深くみることの出来る中国人がこの聴衆の中にいれば恐らくサイトウ・キネン・オーケストラの今後の招致を考えるでしょう。中国のオーケストラ向上のために図り知れない刺激となりますから。中国は時差の影響なく近いですからいいです。北京交響楽団のレベル知りませんので確かなところわかりませんが。いろいろ感じることありました」と。